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大阪高等裁判所 昭和29年(う)1255号 判決

控訴人 被告人 谷本好紀 外一名

弁護人 小田成就

検察官 山本諌

主文

本件控訴はこれを棄却する。

当審の訴訟費用は被告人等の負担とする。

理由

被告人両名の弁護人小田成就の控訴趣意について。

被告人両名がそれぞれ原判示のとおり古屋敷正行の頭部を手で殴打したことは原判決挙示の証拠によつて優にこれを認定するに足り、原審の取調にかかる他の証拠及び当審取調の各証拠によつても、所論のように形式的に軽くノツクしたに止まるという程度のものであつたとはとうてい認められないのである。もつとも、右殴打はこれによつて傷害の結果を生ぜしめるような意思を以てなされたものではなく、またそのような強度のものではなかつたことは推察できるけれども、しかしそれがために右殴打行為が刑法第二〇八条にいわゆる暴行に該当しないとする理由にはならない。つぎに、所論は、右は教員たる各被告人が学校教育上の必要に基ずいて生徒に対してした懲戒行為であるから、刑法の右法条を適用すべきではないと主張するけれども、学校教育法第一一条は「校長及び教員は教育上必要があると認めるときは、監督官庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。」と規定しており、これを、基本的人権尊重を基調とし暴力を否定する日本国憲法の趣旨及び右趣旨に則り刑法暴行罪の規定を特に改めて刑を加重すると共にこれを非親告罪として被害者の私的処分に任さないものとしたことなどに鑑みるときは、殴打のような暴行行為は、たとえ教育上必要があるとする懲戒行為としてでも、その理由によつて犯罪の成立上違法性を阻却せしめるというような法意であるとは、とうてい解されないのである。学校教育法が、同法第一一条違反行為に対して直接罰則を規定していないこと及び右違反者に対して監督官庁が監督権の発動その他行政上の措置をとり得ることは所論のとおりであるけれども、このこととその違反行為が他面において刑罰法規に触れることとは互に相排斥するものではない。そして、殴打の動機が子女に対する愛情に基ずくとか、またそれが全国的に現に広く行われている一例にすぎないとかいうことは、とうてい右の解釈を左右するに足る実質的理由とはならない。さらに、所論は親の子に対する懲戒権に関する大審院判例及びいわゆる一厘事件に対する同院判例を援用するけれども、前者の援用は主として親という血縁に基ずいて教育のほか監護の権利と義務がある親権の場合と教育の場でつながるにすぎない本件の場合とには本質的に差異のあること看過してこれを混同するものであり、後者の援用は具体的事案を抽象的に類型化せんとするに帰着し、ともに適切ではない。論旨はいずれもその理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条第一八一条に則り主文のように判決をする。

(裁判長判事 荻野益三郎 判事 梶田幸治 判事 井関照夫)

弁護人小田成就の控訴趣意

第一点民法第八二二条第一項には親権者の子に対する懲戒権を規定し「親権を行う者は必要な範囲内で、自ら其の子を懲戒することが出来る」とせり

本条項は改正前の民法に於ても同様にして之に関する明治三六年(れ)二六九一大審院判例は「民法第八百八十二条ニ依レバ親権ヲ行フ父母ハ必要ナル範囲内ニ於テ自カラ其ノ子ヲ懲戒スルノ権利ヲ有スルヲ以テ親権者タル父母ガ懲戒権行使ノ実行上其ノ子ヲ制縛監禁シ又ハ殴打スルノ必要アルニ当リテハ法律上之ヲ為スコトヲ得ベク其行為ニシテ苟モ法律ニ定ムル必要ナル範囲ヲ逸出セザル限リハ刑事上ノ責任ヲ負フコトナカルヘキハ勿論ナリ」と判示せり学校教職員の其児童に対する懲戒権も親権者の懲戒権と其の軌を一にするものにして昭和二十二年四月一日学校教育法が施行せられる迄は我が国に於ては大体に於て学校教育上必要な範囲内に於て教職員が其の児童生徒に対する懲戒権の実行上体罰を加えることは容認せられ来りたる顕著な事実にして未だ之を以て刑法上の問題として取扱はれたる事例なき事は親権を有する父母が其の子を懲戒の必要上体罰を加ふるも刑法上の暴行罪の対象とならざると同様にして又学校教育法施行後に於ても必要なる範囲の体罰を以て刑罰法規の対象となりたる事例も存せざるなり

学校教育上の必要なる体罰は単に我が国に於て容認せられたるに止まらず英、仏独等に於ても現に容認せられ居りたる事は顕著なる事実にして敢て異とするに足らざるなり

故に学校教職員が其の教育上の必要なる範囲内に於て其の児童生徒に対し懲戒の為体罰として軽き殴打を加うるも暴行罪の対象たらざる事は親権者の場合と同様なりと思料す

第二点然るに終戦に伴い昭和二十二年四月一日より施行せられたる学校教育法第十一条に於ては学生、生徒等の懲戒に関する規定を定め「校長及教員は教育上必要があると認める時は監督庁の定めるところにより学生、生徒及児童に懲戒を加える事ができる。」と規定し但し書を以て「但し体罰を加えることは出来ない」と規定せり

茲に於て従来(昭和二十二年四月一日学校教育法施行前)の程度に於て教職員が其の児童生徒等に対し懲戒の手段として体罰を加えたる時に果して之が刑罰法規の対象たるや否やを案ずるに学校教育法施行以後に於て万一教職員が懲戒の手段として必要なる範囲内に於ても体罰を加えたる場合に於ては当然学校教育法の違反になると思料する

然し乍ら学校教育法に於ては第十一条の違反に対しては別段制裁規定を定めずして一偏に之を教育上の問題として取扱い法律違反として刑罰を移せざることとなせり、右は教育上のことは教育上にて解決すべき事と定め一々司法権の介入を敢て要求せざる高辺なる考慮の結果に基く注意なりと思料さる故に第十一条違反は其の程度如何によりては監督上官又は監督庁よりの注意、訓戒、懲戒の如き教育、行政上の処分の対象となり得るも司法権の対象たらざる事と為せるなり

換言すれば学校教育法施行前容認せられたる程度の懲戒の手段としての体罰は学校教育法違反となるも直ちに司法権の対象たる刑罰法規の違反とならざるものと思料せらるるものなり

第三点本件谷本教諭及平岡英男教諭の行いたる体罰は正しく叙上の見地より学校教育法違反なるも刑罰法令の対象たらざる教育上の懲戒行為にして之に刑法の暴行罪を適用する事は違法にして当を得ざるものなり。又仮に第一審判決に於て両教諭の為したる体罰を刑罰法規の対象とすべき程度の暴行と見做したりとすればそれは事実誤認も甚だしきものと解すべく特に谷本教諭の加えたる殴打の如きは物理学上は別として社会通念上暴行と認むべき意思全くなく却つて生徒に対する愛情より生徒の空腹を察して一刻も早く解放せしめんとの好意より中谷主任教諭の面子を考慮して形式的に十数人の生徒に対し軽く手拳を以てノツクせしに過ぎざるものにして之を暴行罪の対象として起訴することは前述の如く違法の措置なると共に既に本件は三ケ年を経過し其の間何等問題となり居らざりし事たるに何が故に突然起訴せしやは了解に苦しむ処なり

次に平岡教諭の件に於ても右と全く同様にして教育上の見地より暴行の意思全くなく一、二年生同様に三年生の生徒十数名に対し将来を戒飾する方針の下に平手で且つ右手掌を反対に軽く整列せる生徒に体罰を加えたる程度にして十数名の生徒唯一人として又父兄達も当然の事として何等問題とならざりし事なるに古屋敷父子の告訴ありたる理由を以て刑罰法規の対象として起訴したる事之亦其の了解に苦しむ処にして第一審の裁判所が傷害を無罪としたるも依然暴行罪を適用したるは谷本教諭同様法の適用を誤り事実の誤認ありたる結果なりと思料す

叙上の見地より被告両名の行為は刑罰法規の対象たらざる行為にして無罪の判決賜るべきものと思料す

万一両教諭の本件の如き程度の体罰に対し刑罰法規を以て臨むことあらんか本件程度の懲戒が現に全国的に行われ居り我が国の小中学校の大半に於て多数の刑罰法規違反者を出すべく我が国教育上の大問題を惹起せん。因り学校教育法施行の今日懲戒手段として体罰を加うる事は厳に注意すべき事に属するも右は教育の行政上の問題として是正すべき事にして恰も父母の子に対する体罰が家庭教育上も好しからざるものにして可成斯の如き事なきを期図するも時と場合により或る程度の体罰の行はるも容認せざるを得ざる場合なしとせざるも一般なり

万一各家庭に於ける父母の子に対する懲戒手段としての体罰に一々司法権の介入を見んか我が国淳風美俗に反するのみならず広く全世界の父母の子に対する親権に許されたる常識に背反する事多大なり

叙上の見地より万一第一審の判決維持さるるに於ては我が国親権の威信地に墜ち教育上由々敷風潮をかもすことあらんと怖るる次第なり。終りに明治四十三年十月十一日横田大審院長によりて下されたる所謂一厘事件の判例は本件の所論と共通せる論旨あるを以て其の要旨を摘録して之を援用せん

「抑々刑罰法ハ共同生活ノ条件ヲ規定シタル法規ニシテ国家ノ秩序ヲ維持スルヲ以テ唯一ノ目的トス果シテ然ラバ之ヲ解釈スルニ方リテモ亦主トシテ其ノ国ニ発現セル共同生活上ノ観念ヲ標準トスベク単ニ物理学上ノ観念ノミニ依ルコトヲ得ズ。而シテ零細ナル反法行為ハ犯人ニ危険性アリト認ムベキ特殊ノ状況ノ下ニ決行セラレタルモノニ非ザル限リ共同生活ノ観念ニ於テ刑罰ノ制裁ノ下ニ法律ノ保護ヲ要求スベキ法益ノ侵害ト認メザル以上之ニ臨ムニ刑罰法ヲ以テシ刑罰ノ制裁ヲ加フルノ必要ナク立法ノ趣旨モ亦ココニ存スルモノト謂ハザルベカラズ

故ニ共同生活ニ危害ヲ及ボサザル零細ナル不法行為ヲ不問ニ付スルハ犯罪ノ検挙ニ関スル問題ニ非ズシテ刑罰法ノ解釈ニ関スル問題ニ属シ之ヲ問ハザルヲ以テ立法ノ精神ニ適シ解釈法ノ原理ニ合スルモノトス従ツテ之ノ種ノ反法行為ハ刑罰法規ニ規定スル物的条件ヲ具フル罪ヲ構成セザルモノト断ズベク其ノ行為ノ零細ニシテ而モ危険性ヲ有セザルカ否カハ法律上ノ問題ニシテ其ノ分界ハ物理的ニ之ヲ説クコトヲ得ズ健全ナル共同生活上ノ観念ヲ標準トシテ之ヲ決スルノ外ナシ」

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